@article{oai:ir.kagoshima-u.ac.jp:00010353, author = {種村, 完司}, journal = {鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編, Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Cultural and social science}, month = {2016-10-28}, note = {近年の脳死-臓器移植をめぐる論議の中で、「脳死=人の死」を否定する論拠のーつとして、身体にも独自の生命を認めてきた、日本人の伝統的な身体観を挙げる論者がある。また、国民の中にも、死者の遺体を毀損することへの抵抗感から臓器提供や献体を躊躇する意識がある。身体についてのこうした観念や意識が、古来から日本人の中でどのように形成され、今日それをどう受けとめたらよいか、を論究するのが本論の目的である。 日本では心身一元論が支配的であった、との主張もあるが、葬送儀礼である「もがり(アラキ)Jや伝統的な「盆」の慣習にあっても、魂と肉体の二元性という観念はかなり根強い。しかし、死者の遺体や骨がなんらかの意志や感情をもつという観念もあり、「意志する死骸」と「抜け殻としての死骸」の両観念をどう統一的にとらえるかが、重要である。 さらに、日本人は古くから「生」と「死」、「この世」と「あの世」を連続的にとらえる傾向が強いが、その今日的な影響が青少年にどうあらわれているか、に注目すべきである。また、古代日本人が「植物的死生観」・「人間存在の植物的性格」観念を有していた、という主張があるが、それは正しいか。むしろ『古事記』には人聞の性的・身体的・活動的性格が、換言すれば、動物的性格が多面的に記述されていることを、本論は明らかにする。}, pages = {43--63}, title = {脳死論議と日本人の身体観 ― 日本人の身体観・身体思想(その一)}, volume = {60}, year = {} }