@article{oai:ir.kagoshima-u.ac.jp:00011625, author = {久保田, 治助}, journal = {鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編, Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Studies in education}, month = {2016-10-31}, note = {本研究は、1960 年代の老人大学創設の経緯と展開を明らかにするために、1960 年代に高齢者教育論を提唱した橘覚勝の言説を検証したものである。 この時期は、前期(1950 年代~ 1960 年代中期)と後期(1960 年代中期~1970 年代)とで高齢者像が大きく変容した時期であった。前期は、戦前から引き継がれた〈強い〉者としての高齢者像が、家族制度廃止に伴い家族のなかから高齢者の権限が奪われ、逆に、国からも家族からも〈余計者〉扱いされる〈弱い〉者としての高齢者像へと、その社会的位置づけが大きく転倒した時期であった。しかし後期に至ると、社会から冷遇されつづけてきた高齢者の境遇がにわかに好転した。高度経済成長の恩恵によって、高齢者福祉に財政資金が投入されるようになったのを契機として、高齢者は国家および社会が扶養すべき「弱者」であるという、今日にも受け継がれている高齢者イメージが社会全体に蔓延していった時期であった。1960 年代は日本社会が豊かな時代であり、高齢者の学習環境の整備を進める余裕がある時代であった。そうした経済状況を如実に反映したのが、橘覚勝の「老人憲章〈私案〉」であった。老人憲章〈私案〉の内容は当時の社会状況を反映して、高齢者を〈扶養される者〉として位置づけることを目的としたものであった}, pages = {55--65}, title = {1960 年代における高齢者の教育政策の創設と展開—橘覚勝の老人憲章〈私案〉—}, volume = {65}, year = {} }