@article{oai:ir.kagoshima-u.ac.jp:00014178, author = {三輪, 伸春}, journal = {地域政策科学研究, Journal of the Doctorate Studies in Social Sciences}, month = {Mar}, note = {仙厓の禅画『ゆばり合戦図』に描かれている人物ふたりのうちひとりはその台詞から仙厓自身である。ところがもう一方の人物の特定がされていない。  筆者は、この特定できていない人物を特定する作業を通じて、仙厓の禅画の特徴、禅僧としての仙厓、画家としての仙厓、そして詩人としての仙厓の特徴を明らかにする。  この図に書かれた人物は、その台詞「龍門の瀧見ろ見ろ」から「龍門」と号した博多の「年行司」をつとめた松永子登であることを明らかにした。仙厓が、友人の松永子登という本名「子登(しと)」→「尿(しと)」との連想から、読み方に議論のある松尾芭蕉の「のみしらみ馬が尿する枕もと」の句の「尿」を「しと」と読んで『ゆばり合戦図』 の画讃と芭蕉の句との連想を意図したことを証明する。  「のみしらみ馬のしとする枕もと」の句を、純粋に「詩」として考察してみる。すると、『奥の細道』本文にある「封人宅」での宿泊時の災難がいささか実情に反して大げさに記述されている。また、大げさに解釈されてきたということがわかる。芭蕉が述べている封人の家での経験は、芭蕉の旅が肉体的、現実的に苦難に満ちたものであった という印象を与える。しかし、この句を純粋に「詩」として分析するとかなり軽快でさわやかな印象を与える。『奥の細道』の本文では最上越えの苦難を肉体的、現世的には苦難に満ちた経験と表現することによって、逆に、精神的、芸術的に得られた成果(句)は大きいという効果を芭蕉は狙ったのではないか。そのことを明らかにするためには『奥の細道』における「のみしらみ」の句の存在理由、さらには芭 蕉全体像における『奥の細道』の意味をより広い視野で、より深い意味を検討しなおす必要がある。  すでに、「あらとふと青葉若葉の日の光」は「徳川様のご威光」を意味するという伝統的な解釈は俗説として否定されている。詩学と記号論に基づく芭蕉の見直しが望まれる。}, pages = {1--22}, title = {仙厓の禅画『ゆばり合戦図』のモデルは誰か : 響きあう仙厓と芭蕉}, volume = {15}, year = {2018} }