@article{oai:ir.kagoshima-u.ac.jp:00014358, author = {和田, 七洋}, journal = {鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編, Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Cultural and social science}, month = {Mar}, note = {横尾忠則は現在に至るまで幾度もスタイルを変えてきたことで有名である。そのような横尾の変化の原点が1960年代初頭にあるとみなし,本稿では当時のポスターを中心にどのような変化があったかを明確にすることを目的としている。 戦後間もなくの日本ではモダニズムデザインが主流であったが,スタイルを持たない国際様式であるそれに反動する形でデザイナー達は作品に個性的表現を持ち込み脱モダニズムを図った。横尾もその例にもれず,独自のスタイルの確立をめざした。横尾が最初に獲得したスタイルは市松模様によるもので,その後それを放棄し土着的モチーフを用いたものに変化した。 本稿において,それぞれの変化,すなわちモダニズムから脱モダニズム,脱モダニズムのなかでも市松模様から土着的モチーフ,といったものの背景にどのような思惑があったかを作品及び資料分析を通して行うものである。この時期の研究を行うことは1965年の「ペルソナ」展における横尾作品の意義を知る上で大変重要であると考える。}, pages = {141--150}, title = {1960年代初頭における横尾忠則ポスター作品の変化に関する研究}, volume = {68}, year = {2017} }