@article{oai:ir.kagoshima-u.ac.jp:00001609, author = {桜井, 芳生}, journal = {鹿児島大学法文学部紀要人文学科論集, Cultural science reports of Kagoshima University}, month = {2016-10-27}, note = {本稿は,おもに三つの問題について,暫定的な回答案を提示することを目的とする。第一の問題とは,人間社会において,「選択肢」が「消滅」したり「発生」したりするのは,いかにしてなのか,という問題である。第二の問題は,人間社会における「当為(べき)性」の由来はいかなるものなのかという,問題である。第三の問題は,人が社会を生きている際に感じる悩みには主にどのようなものがあり,それの解決はいかになされるのか,あるいは解決できないものはあるか,という問題である。私が提案する回答が,これらの問題に関して「唯一にして,必要」であるということはありそうもない。しかし,私の提案する答案は,私の知る限りあまりいままで展開されていない。よって,一つの「取りかかり」として提起するのは,今後の探求の糸口になるように直観される。第一の問題のさらに第一下位問題すなわち,いかなる場合に選択肢は消滅するのかという問題。この問題に対する私の回答は,純粋ナッシュ均衡が成立しているとき,というものである。第一の問題の第二下位問題すなわち,いかなる場合に選択肢は発生し存続するのかという問題。この問題に対する私の回答は,純粋ナッシュ均衡が不成立となり,混合ナッシュ均衡が存在している場合,というものである。後者の純粋ナッシュ均衡が不成立で,混合ナッシュ均衡が存在している場合には,おもに三つの主要類型が考えられる。第一は,事態が,「非対称ゲーム」的である場合で,このときは,人々は「悩んで選択する」ことがありそうになる。通常いう「選択」のもっとも典型的ケースと思う。第二は,事態が「対称ゲーム」的である場合である。この場合も,論理的にはすぐまえと同様「悩んで選択」することもあり得る。が,典型事例としては,「階級分化(棲み分け比率が圧倒的でない場合)」と「一見自明な規律(棲み分け比率が圧倒的である場合)」とにおおむね類型できる。うえのもっとも後ろの類型の「一見自明な規律」が成立するとき,社会には「当為`性」が成立することがある,というのが,第二の問題に対する私の答案である。以上の論脈に即して人間の悩みの源泉も整理することができる。これが第三の問題への答案である。}, pages = {11--41}, title = {社会ゲーム論・イントロダクション -選択肢生滅問題・当為性の一つの由来・人間の悩みの三つの源泉-}, volume = {50}, year = {} }