@article{oai:ir.kagoshima-u.ac.jp:00004315, author = {日隈, 正守}, journal = {鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編, Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Cultural and social science}, month = {2016-10-27}, note = {本稿では,鎌倉初期大隅国衝により作成された大隅国建久図田帳に記載されている大隅(国)正八幡宮の社領・大隅国衙領・島津荘域がどのような歴史的経過を経て形成されたのか,という課題について検討を加えた。その結果律令国家期大隅国の郡は,薩摩国の郡に比べて大規模なものであったこと,本来現在の桜島を祀っていた鹿児島神社は,一一世紀前期の政情不安な状態により八幡神を合祀し,その結果大隅(国)正八幡宮が成立したこと,大隅(国)正八幡宮は大隅国衙と結びつき,国衙支配を支えたこと,一二世紀初頭になると大隅国内に藤原摂関家領荘園島津荘が成立し,それに対抗するように大隅(国)正八幡宮が社領を拡大していったこと,鎌倉初期に作成された大隅国建久園田帳では,大隅国内は大隅国衙領・大隅(国)正八幡宮の社領と島津荘域にほぼ二分される状態が形成されていること等を明らかにした。}, pages = {75--97}, title = {大隅国における建久図田帳体制の成立過程}, volume = {60}, year = {} }