@article{oai:ir.kagoshima-u.ac.jp:00006322, author = {狩野, 浩二}, journal = {鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編, Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Studies in education}, month = {2016-10-28}, note = {斎藤喜博(1911-1981)は, 1952(昭和27)年4月群馬県佐波郡島村立島小学校に校長として赴任した。斎藤は, 着任してから, かたく心を閉ざし, 勉強にも日常生活にも消極的であった児童や教師たちの雰囲気を変えることに力を尽くした。そのために, 原因となっているあらゆる慣行を廃止した。たとえば, 斎藤が赴任した当初の学芸会は, 特定の児童を訓練して, それぞれの特技を発表するというものであった。運動や音楽, 舞踊などを得意とする特定の児童が幅をきかせ, それ以外の児童はもっぱら傍観的に参加していた。そして, それらは日常的に行なわれる授業とはまったく無関係に行なわれていた。当時は「授業」自体が旧来の教え込み型, 講談調のものであり, そもそも, それらと学校行事とをつなぐという発想自体がなかったといえる。後には, 島小の全児童が, 集団で児童による表現活動を主体とした学校行事の創造に取り組み, 心をひらいて自分の実感を表現するように変わっていったが, 斎藤赴任当初は, まったくその反対であった。そのため, 児童の中に嫉妬や抑圧, 諦観が渦巻いていた。級友が活躍する場合においても, 無関心であり, また, できればできるだけ目立たないようにふるまうことがよしとされていたといってよい。そこで, 島小においては, このような形式的な「学校行事」を一時的に取りやめた。そのなかで入学式や卒業式に, 児童による呼びかけを取り入れたり, 構成遊技といわれる, 後の総合表現やオペレッタなどの身体表現活動につながる新たな学校行事を創造した。}, pages = {131--158}, title = {島小の教育実践 : 学校行事}, volume = {55}, year = {} }